現場経験から生まれた
柔軟な対応力が
鑑定人としての力に。

ホシタ1級鑑定人/1992年入社

ドンナヒト

こんな性格!

大学時代は
サックスも。

文系学部出身です。軽音楽部に所属しサックスを吹くのが本当に楽しかったですね。

心はいつも
フレッシュ。

長所は何事にも先入観なく取り組めること。短所は少しそそっかしいところ(笑)

音楽が好きです。

家で家族と音楽談義をしている時が楽しいですね。時々ウクレレを弾きます。

経験が財産。

鑑定歴30年になります。あらゆる現場で培った経験が大きな財産になっていますね。

「鑑定」という言葉に惹かれ、
ドアを叩いた。

私たちの時代は就職活動と言えばリクルートの雑誌で情報を得るのが主流でした。雑誌のなかに内山鑑定事務所と記載があり、理由はわからないですが「鑑定」という言葉に惹きつけられたんですね。それでアポなしで飛び込みました。その時、先代の社長がいらっしゃって二人で1時間ぐらいざっくばらんな話をしました。あまり真面目な話はしなかったですね(笑)。それからご縁があって入社することに。

1年目は研修期間。もともと大阪勤務でしたが、すぐ北海道で地震があったのと、その後、台風ですね。当時は九州方面の台風で宮崎を1年ぐらい担当。出張が多かったです。その出張の中で異動のお話をいただいて、岡山に5年ほど勤務。当時はフィルムカメラ、電話ボックスを使うアナログ主流の時代。山地現場では電話ボックスを見つけるのに車であたふたしたものです(笑)。その後、大阪に戻って、京都支店にも勤務。管理職業務も経験させていただいたのですが、現場が好きなのでずっと現場職ですね。

建物の基礎しか
残っていなかった火災現場。

支店時代に鑑定人として力が鍛えられたと思いますね。支店というのは人数が限られているので少人数で現場をこなしていくわけです。私自身、地震と台風の経験しかなかったので、その期間がすごい濃厚な時期でしたね。しんどい半面、その時の経験が今の体力や継続する礎になっています。上司、後輩、事務職の方々、同期に恵まれたことにもとても感謝しています。

印象に残っているのは地方ならではの風習ですね。これは私が勤務していた地方だけのことかもしれないですが、火災があったら家屋などを村の人たちで壊していくんですね。私が出向いた時にはもう基礎しか残っていない。最初に見た時はこの1軒だけかなと思ったのですが、その後も基礎しかない時が何回かありました。図面もないということも。そういう状態なのでご契約者様に聞きながら間取りを作りあげて、損害額を積み上げていくという経験を重ねました。それが本当に力になったと思いますね。

好奇心が、仕事を楽しくする。

若い人にはこの分野に限らずですけど、本当に好奇心を持って仕事に向き合ってほしいですね。鑑定人の仕事は地味ではありますが、掘り下げれば可能性に満ちています。サイバー保険など新たな保険が生まれると鑑定領域も広がっていきますし、これまでにないような損害査定というのが将来的に生まれる可能性は充分に考えられます。ですので好奇心を持って、新しいことにトライしていけばこの仕事はより楽しめると思いますね。

その一方で、どの仕事にも言えますがストレスが溜まることがあります。長いときは1年かけて終わるという事案というのもありますので、そこは仕事と上手に向き合って自分の時間を持ってもらえたらなと思います。今の若い人たちはそれができると思うので心配はしていないですが、自分を第三者的な立場で見つめながら過ごしてほしいなと思いますね。

1日のスケジュール

水害で静岡に出張の日

数日間にわたる出張の時は、体調管理に気をつけています。

大阪本部での1日

キリのいいところまで作業したかったので少し残業。

内山鑑定ここがイイネ!

人材が豊富なところ

若い世代からベテランまで幅が広いのが良さですね。ベテランから違う視点の情報を得られますし、若い子は若い子で違う角度で見ていたりしますので、その情報量の多さは鑑定業務の大きな助けになります。そして事務職の方々の支えも非常に大きな力になりますし、本当に感謝していますね。

私がなりたいミライの私

定年まで鑑定人を楽しみたい

私は定年まであと5年なので、仕事の質を維持することはもちろんですが、健康に留意しながら鑑定人の仕事を楽しみながら全うしたいですね。あとはこれまで仕事で調べたり出向いたりした経験を整理して、鑑定人として自分の足跡を振り返り、良い形で後輩たちに伝えていきたいですね。